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一言ノートより

 

『ソープランドに働いてもう7年になるのに、今、私のさいふには2万のお金と借金しかのこっていない。

いままでいったい何をしていたのか? 何のためにつらい事を続け、身をすりへらしてきたのか? ばかとしか言えない。

”今年いっぱい、今年いっぱいでもう終わりにしよう” 毎年12月にそう思っている情けない私。でも、今度こそ今年いっぱいで・・・・・。

少しのお金でいい。早くお母さんと二人で生活できるようになりたい。その為に入ってしまった世界だから、母さんまってて下さい。』                                         (百合)

 


 

 

『高1の時すきになった男の子に、ちょっと席が隣になったので、おちかづきになったと思ってしまい、大胆にもチョコレートをあげた。

でも、それ以後席がはなれてしまったこともあり、3年間ひとことも口をきいてもらうことなく(はなすことが、ないからか?)卒業となった。

2年のバレンタインデーの時、わたす機会がなく家のポストに入れてきたが、翌日になっても、その次の日となっても、ありがとうもいってもらえなかった。私は友達がいなかった。いつも一人で休み時間はその子の姿をさがしてまどからみていた。2,3年とクラスがわかれたこともあり、姿をみれる機会は移動教室の時ぐらいしかないので、その子の時間割をしらべて、その子が移動する時には、陰からみていた。

友だちがいないからこういった一人行動を遮る者はいなかった。いつでも姿がみたくてそうしていたし、友達がいなくても姿が毎日みれて幸せだった。が、それがいけなかったようだ。すきでもない子から、いつもいつもみられてているのがたえられなかったのだろう。

私は彼の姿がみれる = 幸せ・・・と自己満足していたにすぎない。どれだけいやがっているかと表情などからわかっても、自分の気持ちをおさえて姿をみずに、学校生活をおくることはできなかった。

3年のときのバレンタインデーでは、入試があるので体育祭の時に「写真をとらせて」というつもりが、なにしろ1年の時からしゃべっていないので、どうしてもいえず、よその学校の友だちにきてもらって、かわりにいってもらったら、こわいかおして「いそいでるから」といいのこし、走りさられた。実際、本当にいそいでいたが、私にとってはどうしょうもないダブルパンチであった・・・。

それから私は大学入試の第1志望に失敗し、やむをえず、第2志望へかよいはじめた。もう高校は卒業してしまったのだ。どんなにないても、彼の姿はみれない。

しかし私は、JR でまちぶせしたり、彼のいえの前をとおってみたりして、彼の存在を感じずにはおれなかった。私がこれだけほれているのに、ここまできらわれて、なんでいつまでもおいかけてるの? と思っても、好きなきもちはかくせない。かといって、家の前をとおったりするのが、まだどれほど彼にとってめいわくかと思うと、心がきれそうになる。

3年の時に、友達(1人ぐらいはいた)に「あの子が私のすきな人や」と、おしえて彼の方2人で見ていたところ、バンと教室のドアをしめられた。あたかも、みるな、あっちいけといわんばかりに・・・。

そういうシュチエーションが、頭からはなれない。でれだけなやみ、ないてきたかもしれない。それでも思いは通じるどころか、むしろきらわれた。むなしくてなさけなくてつらくて生きていく元気がない。

大学は志望どおりにいかず、自分のえらんが学部にも問題をのこし、大学でもまた友達ができない。こんなのでいいのだろうかと思う毎日である。

とにかく、3年間ホレつづけた。元H高校のH.N君。伝えられるものなら伝えたい。姿をみていたのは、すきだった故の行為です。本当にすみませんでしたと。いつの日か彼が私を許してくれるように、私に対しての憎しみがきえ、年をとった時にはH高校のあいつか・・・と、思いだしてくれたらなぁと思う。』                      (T.O)