覚書、メモです 小論文のたたき台です

恩師五來重先生の講義でのノートを参照しています。

 

【稲荷】

 

日本に最初に稲を持ってきた神。

海の向こうの常世から祖霊がもたらしたもの(ニライカナイ…海の向こう)という古代信仰

 

稲荷の草創…海からと山からの2つの説がある。

 

1.神の化身の白鳥が止まった山頂に稲が生えた説

2.稲を荷って海岸に現れた神という説

 

伏見稲荷草創、秦伊呂具が弓を射た説(山から説)と弘法大師が祀ったという説(海から説)

・奈良時代、秦中家忌寸の先祖の伊呂具が餅の的を射たら白い鳥となって飛び去り、その白い鳥が止まった山頂に稲が生えたという『山城国風土記』

・弘法大師(または智証大師円珍とも)が紀州田辺の海のほとりで出会った稲を荷った老翁に、将来、京都に大きい寺を建てた時は守り神になってほしいと言うと、約束通りに東寺を建てる時に、稲を荷って女神(命婦)を連れてやってきた。そこでしばらく東寺側の柴守長者二階堂に祀り、やがて稲荷へお連れもうし祀ったのが伏見稲荷である。『稲荷大明神流記』

 

 

【考察】

 

秦氏は渡来の豪族であり、織物などの技術で大きな富を得ていたであろうことは紛れもない事実である。今の伏見稲荷大社を後に社を整備したのは秦氏である可能性が大きいであろう。

あと、弘法大師空海が出会った紀州田辺で出会った稲を荷った老人というのは民間の元々の信仰であったのではないかと思う。稲は中国から朝鮮半島、日本の縄文期に伝来したというが、これは船に乗ってやってきたのもあるかもしれないが、自然に流れて自生したものもあるかもしれないし、時期も場所も数千年という単位、また日本の東海岸一帯という大きなくくりの中でやってきたことに違いない。海の彼方にいる祖霊の信仰は古くからあったし、祖霊が稲を持ってきたと進行していてもおかしくない。なので、海からという話が残るのも、もともと民衆たちが海から祖霊がもたらした思うもので、その両者が交わったとしてもおかしくはない。

 

【資料】

 

『日本書紀』「欽明天皇 天国排開広庭天皇(おめくにおしはらきひろにわのすめらみこと)」

秦大津父

天国排開広庭天皇は継体天皇の嫡子である。母を手白香皇后という。父の天皇はたいへんこの皇子を可愛がって常にそばに置かれた。まだ幼少のおり、夢に人が現われ、「天皇が秦大津父という者を、寵愛されれば、壮年になって必ず天下を治められるでしょう」といった。夢が覚めて使いを遣わし、広く探されたら、山城國紀郡の深草の里に、その人を見つけた。名前は果たして見られた夢の通りであった。珍しい夢であるとたいへん喜ばれ、秦大津父に「何かおもいあたることはなかったか」と問われると、「特に変わったこともございません。ただ私が伊勢に商いに行き、帰るとき、山の中で二匹の狼が咬み合って、血まみれになったのに出会いました。そこで馬からおりて、手を洗い口をすすいで、『あなたがたは恐れ多い神であるのにのに、荒々しい行ないを好まれます。もし猟師に出会えば、たちまち捕らわれてしまうでしょう』といいました。咬み合うのをおしとどめて、血にぬれた毛を拭き、洗って逃がし、命を助けてやりました。天皇は「きっとこの報いだろう」といわれ、大津父を召され、近くにはべらせて、手厚く遇した。大津父は、大いに富を重ねることになったので、皇位をおつぎになってからは、大蔵の司に任じられた。(中略)

八月 高麗・百済・新羅・任那が使いを遣わして、貢物をたてまつった。秦人(はたひと)・漢人(あやひと)ら近くの国から帰化してくる人々を集めて、各地の国郡に配置して戸籍にいれた。秦人の戸数は、全部で七千五十三戸で、大蔵掾(おおくらのふびと・大津父のことか)を秦伴造とされた。

 

 

(佐伯浩道)

 

 

【日本三大稲荷(四稲荷)】

 

伏見稲荷大(京都)社・最上稲荷(岡山)・豊川稲荷(愛知)・祐徳稲荷(佐賀)

 

神道的な稲荷の民間宗教

 保食神(うけもちのかみ) または  宇迦御魂(うかのみたま)、倉稲魂神(くらいなたまのかみ)

仏教的な民間宗教

 荼吉尼天(陀祇尼天・だきにてん)

 

民間信仰

 稲荷 →「稲成」 (穀霊信仰)

            ↓  豊作の神

            ↓  豊かな食物を与える神

         《福神》である

 

稲荷と狐

  古代・中世の庶民生活では食はもっとも大事なものである

  稲成(穀霊) = 「食物の根元」

    食物 = ケ(食)

    根元 = ネ(根)

      食物の根元(ケ・ネ) ⇒ 古語で「ケツネ」

    静岡以西では「ケツネ」「ケツニ」が方言に残る

元来「ケツネうどん」と関西圏では呼ばれていた。古語学者がいう狐の鳴き声「キッ」に愛称のネをつけたというだけでは不十分であろう。私の祖母(明治38年生まれ・大坂庄本村出身)は「ケツネうどん」と発音しており、油揚げも同時に神棚へ祀っていた)

 

稲荷(成)のように割り切れないものは、神秘的で霊力を感じるというような、スマートに割り切れないものである。

 

 

【塚の稲荷】

 

 インド・チベットの荼吉尼天にないもの

     (空行母、三天鬼、噉心鬼、夜叉神)

 日本(狐に乗る) → 庶民信仰の稲成、狐

 明治政府により、時世であるが伏見稲荷は狐を嫌った 官幣大社の社格のため、国家神道に組み込まれた

 

 

【稲荷の福神信仰と農耕神】

 

   現代の福とは? → 現代 金儲け?資本主義の商売繁盛(企業など)

         福神のオールマイティーさゆえに様々な信仰へ

  本来の稲荷神 ⇒ 穀霊神、農耕神

  農民が多く構成していた時代、その生活と生業を守護する神

 

『二十二社註式』稲荷の項 (室町時代)

   下社:大宮女命

      伊弉冉尊ノ化身、罔象女命(みずはのめのみこと)、水神也

   中社:稲倉魂命

      神播₂百穀₁神也、一名豊宇気姫命

      大和国広瀬大明神、伊勢外宮同体

   上社:猿田彦命 三千世界他

           主神是也

   ※稲荷社 上・中・下社の三社、上・下社の二社 とあったことに注意のこと。

 

   下社 = 水神、田畑をうるおす神

        田の神、農の神

     (大宮女命は大宮咩神ともいい宮中の台所の神の名)

 

現在の伏見稲荷(今の本殿) = 下社

   ↪ 上・中社も一緒になった

    中社の今の位置 = 諸説あり

稲倉魂命 = 穀霊

  本社(下社)の上にある巨大古墳の上に祀られた命婦社のことと推定される

    命婦 = 宮中の女官の官名の一 (五位以上)

  稲荷のキツネ = 貴女の姿で現れる

     ↪ 女官の命婦の位を授けた

    稲荷ではこの社に狐を祀っている

  狐・・・古墳の石室に住む伝承が多い

    全国的に古墳の上や開口した石室の中に稲荷を祀る例も多い 「塚の稲荷」

 

 ○ 伏見が官幣の二十二の大社の一にまで巨大化したのは、京都の郊外に立地していたこと 

 ○ 弘法大師の東寺(教王護国寺)の鎮守となった外的要因 ⇒ 稲荷と荼吉尼天の習合のもとになったのでは?

 

伏見稲荷大社・・・本社には見られない赤い鳥居の林立

    ↓    油揚げのお供え

   命婦社     戦後宝くじを当てる神にもなる

    ↪ キツネを稲荷とする庶民信仰が生きている

      古墳に稲荷を祀る祀り方等

 

(五来重氏)

上社、中社、下社の三社ある三宮三院の社は、その根源は中社にあると主張するが、稲荷社の発祥もこの中社である命婦社にあるであろう。それは、ここに「食(け)つ根(ね)」、すなわち穀霊の稲倉魂命(または倉魂魂神)を祀っているからで、この神の化身動物が狐だった。

 

 

【狐は神の化身】

 

日本の神 = 化身動物がきわめて多い (トーテム動物でなく)

  ↓

具象的な姿がない ⇒ 人間の前に出現する場合は動物の形をとることが多い

 

   伊吹山の神 = 白猪『古事記』、大蛇『日本書紀』

   足柄山の神 = 白鹿

     ※神の使いではなく神そのもの 「正身(むさね)」「主神(かむさね)」

     ※必ずしも眷属ではない

 

古事記(景行天皇条)

「この白猪に化れる者は、その神の使者にはあらず。その神の正身にぞありけむを、言挙(ことあげ)したまへるによりて惑はさえたまへるなり。」

 

狐も稲荷神の「使わしめ」ではなく、神の正身と信じられた。

その他、神の化身として祀られているもの

    熊、狼、山犬、猿、鷹、鶏、鳥など

        ↪ 神の化身として神聖化を付与された

 

日本人の菜食民族性

    ↓ 無用な鳥獣の殺生を罪と考え、仏教の不殺生戒と相まる

日本の民族性、日本文化の基調に温和で優雅な自然主義ができたのでは?

 

仏教との結合 = 荼吉尼天が狐を乗り物に

        飯縄(網)大権現が狐に乗る   それには理由がある

 

飯縄大権現 (荼吉尼天と同体とされる)

  ↪ 天狗が白狐に乗る姿(天狗が飯縄山の山神で、その化身動物が狐で、その結合で作られたご神体

※ 発生地、信州・飯倉山と戸隠山には信仰が絶えた。

  関東、高尾山薬王院(真言宗)のご本尊として今も信仰されている。

 

 

【稲荷と山神】

 

稲荷信仰 =山に関係がある

    伏見稲荷 : 稲荷山の山麓

    最上稲荷 : 龍王山の山麓近い中腹

 

『二十二社註式』の稲荷の上社(この山の山神を祀る) ⇒ 御祭神:猿田彦命

    猿田彦命 = 山の神の化身とされる天狗

 

山の神 = 季節ごとに山麓や平野に降りてきて(ただ山上にとどまらず)、農耕を守り、福を与え、諸願を叶えてくれると信じられていた(山の神田の神交代説、そして山宮考:柳田国男)

    春 = 山神は田に降りて田の神、水の神となって耕作を守る

    秋 = 収穫がすめば山に帰って山の神になる

  山神のはたらき = 稲荷神には下社、中社、上社の三社があり、豊作と福をもたらす神として信仰されてきた

 

稲荷神(山の神)を里へ迎えるためには、その乗り物として馬を差し上げなければならない。

実際の神馬を連れていく代わりに、板や紙に描いた馬、すなわち絵馬を上げることになった。

これを耕作の開始される旧2月(彼岸月)の馬(午)の日に行うようになったのが「初午祭」の起源。

したがって初午の日には各地の稲荷社に参詣して、その御分霊をいただいて我が家に祀る。

また秋の収穫祭のあとで稲荷社に詣り、一年の恩籠を感謝する。

   最上稲荷:秋季大祭(10月25日)

   伏見稲荷:御火焚大祭

民間・・・寒中の「狐施行」(寒施行)

     稲荷社やその小祠に稲荷寿司か小豆飯を供えて祭る。